リ サ イ タ ル

 


 明治3(1870)年、二世杵屋勝三郎が「吾妻能狂言」のために、宝生流シテ方の日吉吉左衛門の依頼を受けて、観世流太鼓方出身の藤舎肢船と相談して作曲したと伝えられる大曲で、「杵勝三伝」の一つとされています。歌詞は、観世信光作の能「船弁慶」から、ほぽそのまま借用しています。  「吾妻能狂言」とは、明治維新によって、武家の援助を失った能楽が廃れ始めたことを危惧し、能の地誌に長唄や常磐津、清元などの要素を取り入れて、囃子と三味線を加えた音楽をいいます。能には無い大道具や幕を使って、従来の能狂言の作品の他、新作の所作事も演じました。しかし、能が次第に復興するにつれて人気が落ち、明治10年過ぎには廃絶Lました。この曲は、そうした歴史を背景にして、現在は長唄として愛好されている作品です。
 曲の冒頭は、能の詞章の通り謡ガカリの次第、弁慶の名乗りで始まります。源義経は、兄源頼朝に代わって平家を滅ぽす勲功を立てながら、讒言によって忠誠心を疑われ、都を出て、僅かな供とともに落ちる身となリました。弁慶の注進で、兵庫県の大物浦迄付いてきた愛人の静御前を説得して都ヘ帰らせることになリ、涙に暮れる静は別れの舞を舞います。いざ、船出となるのですが天候が一変して、海上には平家の怨霊が出現。中でも、平知盛は自ら「幽霊なリ」と名乗り、義経に激しく挑みかかります。亡霊に刃が立たない義経を押し止めた弁慶は、数珠を揉んで、念力によつて亡霊を追い払うといつた壮絶な能のドラマの全てを、長唄で演じます。