リ サ イ タ ル

 

音声

[ 約2分 ]


 この曲は、天保2=1830年3月、江戸中村座で中村芝翫(後の四世歌右衛門)が踊つた『六歌仙容彩』、(『古今集』の序で、選者の紀貫之が選んだ六歌仙、即ち、在原業平・喜撰法師・僧正遍照・文屋康秀・大伴黒主・小野小町の登場する変化舞踊)の中の一曲です。
 この曲では、題材を平安朝に取りながら、江戸時代の頽廃的な遊里の情趣を導入して、高貴な喜撰法師に、江戸時代の俗な遊びをさせる時代錯誤の趣向の奇抜さが、当時の一般大衆に受けたようです。ここでは、喜撰法師が、祇園の桜の下で茶汲女を相手に瓢逸な踊を踊つていると、寺から坊さん達が迎えに来ますが、ミイラ取リがミイラとなって、皆で「住吉踊」を踊る場面が歌われています。
 本来は清元との掛合ですが、今では、素の長唄としてもよく演奏されます。長唄は、本来、清元に対して上調子格のニ上りですから、調子が大変高くなつています。
 原曲では、冒頭に「我が庵は芝居の辰巳常磐町。しかも浮世を離れ里」という「置浄瑠璃」があリますが、これは清元の受持ですから省いて、喜撰法師が登場する二上リの合いの手から演奏します。
 喜撰法師は、九世紀初めの人で、橘諸兄の孫ともいわれ、出家して醍醐山に入つた後は、山城の宇治山の麓に隠れ住んで仙人の生活をし、ある時、雲に乗ってどこかヘ去つて行つたという伝説のある歌人ですが、詳しいことはよく分かっていません。『古今集』巻十八に「題しらず 喜撰法師」として「わが庵は都の辰巳しかぞ住む、世を宇治山と人はいふなリ」があリ、百人一首にも採られていてよく知られていますが、確かな作品はこの一首だけです。紀貫之は、『古今集』序で、「宇治山の僧喜撰は言葉かすかにして初め終り確かならず。いはば秋の月を見るに暁の雲に会ヘるが如し」と評しています。
 「きつつき」は、遊廓で格子先に張り付いている冷やかし客のことをいいます。「花香」は茶の香りを言いますが、宇治に因んで「喜撰・初昔・朧の月・松の影・政所・一森」などの茶の銘を詠み込みながら、「締まりなけれど」以下、かなリ際どい暗喩を並ベて、恋の色模様を綴っています。前半は、女性に心を打込む男の心情を、「今日の御見」からは、惚れぬいている男の真意が解らない女性のもどかしさを描いています。「乾反言」は、拗ねて無理を言いかけることです。「色の世界に出家を遂げる」以下のチョボクレは、『弦曲粋弁当』にもあリますが、地歌「浮舟噺」(松島勾当作曲)から取っていて、源氏学者が高尚ぶるのを嘲笑しています。「角文字」は『徒然草』第六十ニ段に紹介されている「ふたつ文字(こ)、牛の角文字(い)、直ぐな文字(し)、歪み文字(く)、とぞ君は覚ゆる」の歌で、延政門院(嵯峨天皇の皇女悦子内親王)が、幼少の頃、父に届けたということです。
 「難波江の」からの二歌は、住吉踊の音頭です。本来は大阪住吉神杜の御田植神事での踊歌ですが、願人坊主によって流布されて、後に川崎音頭や伊勢音頭などになリますが、ここでも、伊勢音頭の囃子詞を用いています。「島田金谷」は、大井川を挟んで東岸と西岸にあった東海道の宿駅で、ここでは宿場女郎の生態を歌っています。
 段切は、前の住吉踊を承けて、能「高砂」にも採られている『古今集』の「われ見ても久しくなリぬ住吉の、岸の姫松幾代経ぬらん」を引用Lています。「黒牡丹」は唐の劉訓の故事に基づく水牛の異名ですが、転じて、昔、水牛の角で作っていた張型の隠語となリました。来世は張形に生れ変わりたいとは、何ともブラックなユーモアでの歌い納めです。